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〓〓思い出に残る食事3〓〓

1 :思い出ポロポロ:02/03/07 02:56
その1
http://www.geocities.co.jp/Foodpia/3640/tabemo08.htm
その2
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/food/961373743/-100

名前:病弱名無しさん :02/03/07 02:08 ID:ML+bJ1cm
当時、仕事を辞めたばかりで一人でフラフラしてた頃。
両親が遊びに来て、色々買ってくれた上に
家で作ってきた高野豆腐を、冷蔵庫に置いて行ってくれた。
その次の日、母は入院。
あっという間に亡くなった。
葬儀を終え自宅に戻ると、冷蔵庫にはまだ
母が作った高野豆腐があった。
大泣きしながら食った。
あれ以来、高野豆腐は食べられない。

名前:病弱名無しさん :02/03/07 02:44 ID:ML+bJ1cm
ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。
そんなわけはないと、と言っても聞かず、冷蔵庫に決まってビールを
横にして冷やしていた。 酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとっ
て、ビールに関してだけこだわりを 持っていたのかもしれない。
酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。 親父が死んだ時、
なぜかそんなに悲しくなかった。あっけないな、とは思ったが、
何か時間が寸断されるような感覚はなかった。親戚が自宅にきて、
これからのことを 話し合っているときに、ふと何か酒が飲みたくなり
冷蔵庫を開けた。 横になったビールがあった。時間がぎゅっと凝縮さ
れて、思い出すべきことが多すぎて、泣いた。



2 :もぐもぐ名無しさん:02/03/07 02:57
かれ〜

3 :もぐもぐ名無しさん:02/03/07 02:58
しちゅ〜

4 :もぐもぐ名無しさん:02/03/07 02:59
ころっけ〜

5 :もぐもぐ名無しさん:02/03/07 03:15
ちゃ〜はん

6 :もぐもぐ名無しさん:02/03/07 15:23
はんば〜ぐ

7 :もぐもぐ名無しさん:02/03/16 05:24
ここに書いていいのかなー?
年末、帰省したんです。
そして、いつもの通り帰省したその日はお寿司屋さんに家族全員で行きました。
そこでいつももめる問題、私・父の酒飲みグループはカウンターキボン。
おばあちゃん・母の食べ専はお座敷キボン。
その時は私も疲れていたんでお座敷でマターリしたいと思ってお座敷にしようよー
と父に言った。多勢に無勢で父も承諾。
おばあちゃんは嬉しそうにいそいそとお座敷の奥へ。
お座敷の上席は必ずおばあちゃんと決まっているから。
そしてみんなでマターリ飲みつつ、つまみつつ。
私の東京での話とかしながらみんなでほのぼの飲んでいた。
そしたら普段は飲まないおばあちゃんが、ビールを飲みたいと言い出した。
その店は中生しか置いてない。
でもおばあちゃん一人じゃ飲みきれないから少し誰か飲んでくれと。
その頃はもう呑み助チームは冷酒に走っていてビールどこではなかったんだけど
そんな事言ったらおばあちゃん「じゃぁもったいないから止める」と言い出すのが
目に見えていたから、私飲むよー。と言って、オーダーした。
来たビールを、すごく美味しそうに飲むおばあちゃんを見て
なんとなくほのぼのしてた。結局全部おばあちゃん飲んじゃったけど(w
なんかすごくおばあちゃん楽しそうだった。何故かは分からないけど。
これからもずっと帰省する度にそれが続くと思ってた。
でもさっき。2時頃の電話でそれが二度と無いであろう事を知った。
おばあちゃん入院してたらしい。
言ったら私が帰ってくるのを見越して、入院の連絡をしなかったらしい。
そして今日、さっき。急に容態が変わってすぐに死んじゃったって。
母は泣いてた。実母だし。でも今の私は信じられないとしか言いようがない。
だって正月にビール飲んでたのになんで?って感じ。
居て当たり前の人がなんで居ないんだろうってすごく不思議に思う。
カウンターvs座敷の戦い?にも勝ったのに。好きなうにだって4巻も食べたのに。
全部今まで通りなのになんでなんだろうって感じ。

なんかただ感じた事を書き連ねてるだけみたいなレスになっちゃった。スマソ。
始発で帰らなきゃいけないから飲みながら2ちゃんやってたら
このスレ見つけて、なんとなく思い出して書いてみた。
でも信じらんないや。

8 :7:02/03/16 05:32
そして長文スマソです。

9 :もぐもぐ名無しさん:02/03/16 10:22
ご冥福をお祈りします。
おばあちゃんは良い思い出を胸に、冥土に行かれたことと思います。

10 :もぐもぐ名無しさん:02/03/17 23:58
不慮の事故などを除けば、自分の死ぬ前って、
自分でわかるんだと
『自称・何度も死線をくぐってきた』爺さんは
言ってました。
死ぬ前になると一度人間は朗らかになるのだそうな。
本人もその通りに死んじゃったけど。
そんな爺さんの最期の言葉は
『おい、なんか甘いもんないか』
でした。


11 :もぐもぐ名無しさん:02/03/18 16:53
>7さんのレス読んだら思い出しちゃったよ(T_T)

ちょうど4年くらい前。
横浜のおばあちゃんがもう長くないって聞かされた。
誰にでも優しかったけど、俺は一番下だったから特に可愛がって貰ってた。
直ぐに見舞いに行きたかったんだけど、時同じくして俺の嫁さんが出産。
で、子供が無事生まれたんで写真を持って次の日御見舞いに。
元々すごく痩せてる人だったけど、もう見る影も無いくらい痩せてた。
自分では立つことも排泄もできないし、もう食事もできなかったらしい。
「おばあちゃん、曾孫だよ。昨日生まれたんだよ。名前は○○。」
ただ頷きながら、叔母さんに何か頼んでる。
叔母さんが「○○君、おばあちゃんビールで乾杯したいって。」
小さなコップにほんの少しだけビール入れて俺と乾杯してくれた。
「おめでとう、よかったね。」って消え入りそうな声で。
嬉しくて悲しくて隣でずっと泣いてた。
1週間後、おばあちゃんは亡くなった。
あの時のビールは味がしなかった。

12 :もぐもぐ名無しさん:02/03/19 15:35
>>11
(TдT)でもひ孫さんの誕生を知らせれて良かったね。。

13 :もぐもぐ名無しさん:02/03/19 15:48
当時付き合ってたカナダ出身の彼。
雪が降った日部屋に遊びに行ってお茶を飲んでた。
彼が台所に消えたなーと思ってたら、ニコニコしながら
巨大なお鍋を抱えて戻ってきた。

「開けてみて!」って言われて
恐る恐る開けたら中は...大量の“おでん”。
付き合いはじめの頃(夏)おでんが好きって言ったの覚えててくれたんだなぁ
とちょっと感激だった。
角切りハンペンと薄切り大根も良いものだ。



14 :もぐもぐ名無しさん:02/03/20 12:11
去年、父方のばあちゃんが死んだ。
そのときはあまり泣かなかった。
火葬してるとき、その5年前に死んだ
(父方の)じいちゃんの事を思い出した。
じいちゃんは、いつも家にいくと、オロナミンCをくれた。
僕はいつもそれを一気に飲んでいた。

葬式が終わった3日ほど後、オロナミンCを発見し、
2本買って飲んでみた。
ちびちびちびちび飲んだ。

少し悲しくなって、KRAFTWERKのアウトバーンを
聞いたら、益々悲しくなって、夜は眠れなかった。




そのせいで、次の日の学校では、休み時間に寝てばっかりだった(w

15 :ばーちゃん子:02/03/20 18:15
やっぱりばーちゃんの作ってくれたサッポロ一番しょうゆラーメン。
「 いまからこしらえてやるからね 」 という一言がスタート。

水のきれいな田舎でもないし、特別な調理をするわけでもない。
だけど、家で食べるのとは違っていた。
戦中戦後のゴタゴタで家を失い、
ボロ家の市営住宅で細々と暮らしていたけど、
それでも笑顔を絶やさない、やさしいばーちゃんだった。

今はばーちゃんもじいーちゃんも死んじまって家も既に無い。
だけど、ボロっちいコンロも、安っぽい鍋も、端の欠けたどんぶりも、
はっきりと思い出せる。



16 :もぐもぐ名無しさん:02/03/20 23:03
短期留学でタイへ行った。タイと言えば、エスニック料理の本場なのに・・・。

料理は全て学校側が食堂の人にお願いして作って貰っていたが、
前回来た人が、辛さに参ってしまったと言う事で、先方の学校の方の配慮で、
僕らには、薄口の料理ばかりがでた。
食事のたびに周りから美味しそうな香辛料の香がするのに、
僕らの食べるものと言えば、朝はお粥に、昼も夜も、中華風の薄い味付けの料理ばかり、
暑い所で薄口の料理ばかりだと、段々と元気がなくなるんだよね。でも好意なので我慢していたが、
1週間が経った頃、私は、もう体が持ちそうになくて、いつもの食事とは別に
チキンカレー(勿論香辛料ばりのタイ風)を一皿注文して一口食べた。

もう至福の瞬間だった。うま・・・・い・・・・・!

そのチキンカレーには、チキンが1ピースと香辛料の利いた薄いスープがかかっていたが、
その1ピースのチキンとスープを7人の仲間で残さず分けて食べた。そしたら、みんなの顔色が変わったよ。
その様子を見ていた食堂の方が翌日から普通の生徒と同じ香辛料の入った料理を出すようになった。
その最初の辛い食事はやはりチキンカレー!!7人で残さず、全員お代わりして食べました。

タイ料理には、トムヤンクンや、タイスキとか沢山あるけど、
やはり一番最初に食べたあのチキンカレーの味は、忘れられない思い出の味だね。



17 :もぐもぐ名無しさん:02/03/22 01:34
高1のクリスマス
その彼女(今の妻)とは初めてのクリスマスだった。
横浜に行って、夜の食事をどうしようかと言う事で高級レストランでステーキ食べようと言う事になった
彼女からはそこは高いと言うのでその下にある結構くだけた感じの安めの所を勧められたが
俺は食事の時にプレゼント(指輪)を渡そうと思っていてシチュエーションは大事にしたかったので
結局雰囲気たっぷりの方にした。
クリスマスと言う事でラフな格好をした俺達でも入れた。結構浮いてたが窓側。
俺は一人っ子だから親とよくこういう所には来ていたが彼女は兄弟が多かったせいか
こういった所は初めてらしく食べ方や座り方など事細かく聞いてきた。
そしてメインディッシュの4000円(?g)のステーキ・・・これはうまかった。
でも彼女は前菜だけでお腹いっぱいになったらしくとても気持ち悪そう。
そして俺もさすがに自分の分だけで満腹になり彼女が食べた3切れ以外を食べるのは結構キツかった
二人で合計15000円也。
入るのが遅く最後から2番目の客になった上終電に間に合わなかった。
幸い電車代120円の所まではいけたのでタクシーで帰れたが
結構忘れられない

18 :もぐもぐ名無しさん:02/03/24 22:42
♪僕たち厨房 駄スレだけにーついてー逝くー
 今日も 立てる 煽る 荒らす そしてさげーられーるー
 いろんな厨房 生きているーこの板でー
 今日も 騙る ばれる 切れる そしてさらーされーるー

19 :もぐもぐ名無しきん:02/03/24 22:48
>>19ちょっと古いな

なんか濃いね〜。良スレ!

20 :もぐもぐ名無しきん:02/03/24 22:49
って19は俺だ!(爆

21 :もぐもぐ名無しさん:02/03/26 12:20
高校時代は毎日母のお弁当だった。
大学時代も、たいていお弁当を持って出かけた。
彩りもきれいでおいしくて、友人の間でも評判で自慢だった。

就職して、社員食堂でランチをとるようになった。
忙しさにまぎれ、昼食を摂れない日が多くなった。
日に日に、食べられる量が減っていった。
床と天井がくっついたり離れたり、見えるようになった。

そんなある日、食卓にお弁当が置いてあった。
持っていきなさい、と。
食べたくないものは食べなくていい、
行きたくないとこには行かなくていいんだよ。
そう言って母はお弁当を持たせてくれた。

お母さん、ごめんね、ありがとうね。
あの時のお母さんのお弁当はやっぱりきれいでした。
でも、食べられませんでした。
会社もやめてしまったけれど、今、お母さんの料理を
おいしいと思って食べられるようになったことがうれしいです。
乳がんになんか、負けないで。わたしはあなたの味をまだ作れない。



22 :もぐもぐ名無しさん:02/03/27 14:51
麦茶の入った冷たい味噌汁
中学校の夏休みに
牛乳まではいけてたんだが

23 :もぐもぐ名無しさん:02/03/27 15:03
もういないばあちゃんの甘めのそうめん。普通はにゅうめんて呼ぶかな?
食事におよばれしたときは必ずといっていいほどでた。
ただのそうめんなのに同じ味がつくれない。
某番組を見て最期の食事はなにがいいだろうなぁと考えたら
それにゆきついた。

24 :もぐもぐ名無しさん:02/03/27 15:12
クレープが大流行した小学生の時
母親にせがんで作ってもらった。
「薄くて甘い生地でつくったかわでチョコレートを包むんだよ」
と説明してから登校した。

期待に胸を膨らませて学校から帰ってきた私を迎えたものは
春巻きの形をしていたクレープだった。

薄い皮で包むといったらこの形しか思いつかなかったみたい。
でも、私のために知らないお菓子を一生懸命作ってくれた母。
形はおかしかったけど、あのクレープはおいしかった。

25 :もぐもぐ名無しさん:02/03/27 15:37
おフランスで食べた「生牡蠣」サイコ〜!

26 :もぐもぐ名無しさん:02/03/29 22:35
高校生のころ、同じ部活の男の子に初恋をした。
ある日彼が何気なく「アップルパイ食べたいな〜、Hちゃん(私)作ってよ」
と言ってきた。
料理が得意とか言った覚えもないのに名指しでリクエストされた私は、
ものすごく張り切った。何冊も本を参考にして、試作に試作を重ね、
彼のために心を込めてアップルパイを焼いた。
そして、とうとうそれを彼に渡す日はやってきた。
学校で「S君、前にアップルパイ食べたいって言ってたよね」と
どきどきしながら彼に渡すと、彼は満面の笑顔で
「すげー!みんなで食べよう!」と…
…みんなで…
私も一応部活の人数分フォークを用意していったけど、なんかさみしかった。
その時のアップルパイの甘酸っぱさは忘れない。

27 :もぐもぐ名無しさん:02/03/30 10:54
俺の思い出の食事は、母の作った食事。ただし、ずっと昔のやつ。
前もって書いとくけど、母はまだ死んだわけではなくて、元気だよ。

うちの母は田舎育ちの昔かたぎで、料理には極力、化学調味料は使わず
掃除するにも薬品は使わずに水でしぼった雑巾だけで掃除する、というタイプだった。

化学調味料は使わないで、何でもちゃんとダシを取って作るので、
今から考えるとすごく美味かった。ダシから作ってると、同じ料理でも
日によって味が結構変わったりとか。この頃の味噌汁は、本当にすごく美味かった。

けれど俺が大学に入って夕食はほとんどバイト先か学食で食べるようになり
他の兄弟は就職して独り立ちしてしまうと、母の気張りもなくなった。
父は既に他界してたから、母一人になったら、手抜き料理で済ませるようになってしまった。

味噌汁は、減塩ダシ入りとかいうのを使うようになってしまい、
びっくりするほどまずくなった。コクが無いしみょうに薄い気がする。
その他のおかずも出来合いの惣菜を買ってきて済ませるようになった。
自分で作る時でも、なんでもかんでも化学調味料をぶちこんで適当に作るので
どーも変な味に思える。

もう一度、毎日張り切って作っていた頃の母のご飯が食べたい。
時々、「ちゃんとダシから作った味噌汁作ってくれ」と頼むんだけど、
「そんなん、もうしんどいわ」とか言って誤魔化されてしまう。
盆正月に家族が揃っても、寿司を取ったり出来合いの惣菜だったりで、
母の手料理が全然食べられないでいる。

もう無理かと最近はあきらめていたんだけど、ここを読んでまた頼んでみようって気になってきたな。
まだ母は元気だけど、この先何が起こるかわからない。
元気なうちに、またあの美味しい味噌汁を作ってもらおう。しつこく頼んでみようと思う。


28 :もぐもぐ名無しさん:02/03/30 14:22
>>27

ganbare

29 :もぐもぐ名無しさん:02/03/30 22:59
トンポーロー

30 :もぐもぐ名無しさん:02/03/31 01:56
>27
う〜ん、それあるなぁ。

漏れの親も、出汁はきちんと取る人だった。
でも、この前実家に電話したら、シュウマイをデパートで買って帰ったそうな。
昔は惣菜屋なんて絶対行かなかったのに、最近は「めんどくさい」らしい。

ヤパーリ、作っても食べる人がいないと張り合いがないのか。
自分でも最近そんな感じだしな。

実家に帰ると、超薄味の精進料理しか作ってくれなくなったり。
親も年を取ると言うことなんだろうなぁ。

31 :もぐもぐ名無しさん:02/04/02 21:10
前日が鍋だったのだろう。その日の昼食は「おじや」
母と5歳の妹と当時小学5年生だった私の三人で囲む平和な食卓。

そこに、酒乱の父が怒鳴りながら乱入、ヤカンを食卓に向かって投げた。
怯えて泣き出す妹。
気の強い母が何か言い返して殴られてた。
私は「やめてー」と泣きながら言っていたような気がする。

  もうだめだ、このオッサンには何も通じない。

逃げ出そうとした私たちに、というか私に向かって父が包丁を投げた。

割れたお椀、飛び散ったおじや、横をかすめた包丁の音。
忘れられない…。

32 :もぐもぐ名無しさん:02/04/02 21:40
二人暮らしだった母の最後は「何も食べたくない」毎日だった。
元気な時に好きだった、「稲庭うどん」を病院の炊事場で冷たく
して口に運んだら全部、嬉しそうに食べた。その次の日、死んだ。

いまは彼のために作る。作ってあげられる誰かがいてくれることが
とても嬉しい。

33 :31:02/04/03 23:45
裸足で逃げ出したあの日。父は大暴れしたあと眠ってしまったようだった。
母と5歳の妹と当時小学5年生だった私の三人はこっそり家に入って
靴と財布、自転車を持ち出して数少ない親戚を頼って逃げたっけ。

結構な距離がある道のりを自転車でトボトボと歩いていたらすっかり夕方…。
子供心にお金の心配をしていた私は「お腹がすいた」の一言が言えなかった。
そんな時目の前に、持ち帰りができるお好み焼き屋さんがあった。
ソースの焦げた、なんとも食欲をそそるその香り…

母が「お好み焼き食べようか」と言ってくれた。

店先でしばらく待ち、パックに入ったアツアツのお好み焼きを受け取った。
入れ物を支える左手に伝わるお好み焼きの暖かさ、かつおぶしの揺れる様…
お好みソースの香り、一口頬張った時のキャベツの甘さ…

肉の入ってない野菜焼き、三人で分けあって食べたっけ…

あれから美味しいと評判の店のお好み焼きや、肉や魚介類の入ったお好み焼きを
食べたけど、そしてどれも当然美味しいんだけどあの時の味には敵わない。

34 :もぐもぐ名無しさん:02/04/04 04:51
うちの父と母は、私の恋人の前でも平気で喧嘩をする。
今、父とは話をしなくなって一年も経った。

前、彼と私の家族とで夕食を食べに行った時のことを今でも思い出す。
その日なんか家を出る直前に二人は怒鳴りあっていた。食べながら、私が
「あまり人の前で喧嘩するのやめてよね」と言ったら、父は今まで聞いたこともないような声で
「そうだよな、恥ずかしいよな」って言った。
本当に泣きそうになった。

けどその数日後、父が恋人の前で
「●(弟)の物は俺の物だ」
っていう糞な発言をした。それから父とは話していない。

食事、あまり関係ないね。スマソ


35 :もぐもぐ名無しさん:02/04/04 22:00
>>33


                    泣!!





36 :もぐもぐ名無しさん:02/04/05 14:28
おいおい

37 :33:02/04/08 00:28
私たちは翌日には酒乱の父の居る家に帰った。
しかし今後のことを親戚を交えて話し合うことになった。

酔いが覚めて正気に戻っていた父は泣きながら謝った。
そして親戚のすすめもあってアル中病院に入ることになった。

アル中親父が入院していた時は母と妹と三人で楽しかったなぁ…
暴力に怯えることも無く顔色をうかがうことも無い生活。
私たちの中では例え父がアル中を治して退院しても、母は父と離婚して
私たち三人で暮らそうという話になっていた。

  もうあんなお父さんなんかいらない。

そんなある日、父が一日だけ外泊の許可がおりたとのことで帰ってきていた。
また暴れて大変な事になっていないだろうかと慌てて学校から帰った私の目に
飛び込んできたのは、病院で着ていたというパジャマにガウン姿でトーストを
食べている父の姿だった。
しかもコーヒーを飲んでいたのだ。

父は職人で酒を飲んでいるか、米の飯を食っているか、パンツ一丁でウロウロして
いるかといった人だったので私にとってその姿は衝撃だった。
母がパートに行っていないからお腹が空いたので自分でパンを焼いて食べていたとのこと…
私が目を丸くして驚いていると「病院では朝はパン食だったからな。パンも結構美味いな」
なんて言ったりした。
照れながらガウン姿を私に披露して、私の分までトーストを焼いてくれた。
砂糖をかけて甘くして、コーヒーは子供だからとお茶を入れてくれて…
小さな声で「今まで…すまなかったな」と謝った。

お酒を飲んでいない時は気が弱くて優しい人なのだ。
今までの辛い思い出よりも父にしてもらったことや楽しかったことが一気に思い出された。
まるで生まれ変わったかのように人が変わった父と食べたトーストは少し焦げていた。
この人ともう少し一緒に居たいと思った…。

結局、父と母は離婚せずにやり直すことになった。
アル中病院から退院してきた父、これからは毎朝一緒にトースト食べられるね。

3日も経たない内に後悔する事になる。



38 :もぐもぐ名無しさん:02/04/08 04:12
自分が小学1年生か、2年生だったと思う。その日の夕食のちゃぶ台に乗って
いたのは餃子だった。ほかにもいろいろ並んでいたはずだったけど、もう思
い出せない。「いただきます」と食べ始めてすぐ、父が怒り出す。餃子のタ
レに酢かラー油が入っていなかったらしい(私は醤油だけで餃子を食べてい
たから気がつかなかった)。そのとき母は台所で最後の1品を盛り付けていた
ところらしく、両手がふさがってたため父に向かって「自分で取って」と
言った。その母の一言が日ごろから亭主関白だった父の癇にひどく障り、直
後両親は喧嘩しだした。二言、三言、口論が続いたと思ったら父は「こんな
もの食えるか!!」と「巨人の星」の星一徹のようにちゃぶ台をひっくり返し
た。父はそのまま家を出てどこかに酒を飲みに行ってしまい、後に残ったの
はめちゃくちゃになった食卓、ちゃぶ台の足にぶつかって割れた窓ガラスの
破片、茫然自失とした母、子供用の低い椅子に座ったまま火がついたように
泣き出す弟、これまでみたことも無い父の一面を見て怖くなり怯えて泣く私。
弟と私はお腹がすいたまま母に無理やり寝かされたが、翌朝茶の間を見ると
ひっくり返ったちゃぶ台はまだそのままだった。

今は私が結婚したため、両親と食事をいっしょにする機会は少なくなったが、
何かの折にこの話が出ると、「あの時は悪かったなあ・・・」と真っ白に
なった頭をポリポリ掻きながら、恥ずかしそうに父は私に謝る。両親は今で
もさかんに口論するが、父はあの頃のようには激昂しなくなった。

39 :もぐもぐ名無しさん:02/04/09 23:47
友人と同じアパート(部屋は別)に住んでいたころの話。
午後3時頃にそいつが俺の部屋に来て「おい、メシ作ってやるから一緒に食おうぜ」
と珍しく気前のいいことを言うんで、二つ返事で同意した。
「じゃ、まず風呂に行ってからだな」と彼は言い
そのとき既に俺は腹ぺこだったが、タダ飯食えるなら、とそれも同意。
一緒に銭湯にいった。ところがそいつの入浴時間が長くて。出たのが1時間半後。
アパートに帰って頭を乾かしたりなんだりで更に1時間。
ようやく作り始めたが凝り性でなかなか進まず、その後も
そいつの友人が部屋に来て雑談モードになったり、どんどん時は過ぎる。
もう俺は空腹でフラフラだった。
こんなことならひとりでカップヌードルでも食えば良かったと後悔した。
ようやく念願のメシにありつけたのは夜中の12時を過ぎた頃。
凝って作ったから白飯も味噌汁もおかずも綺麗に上手く出来ていたが
味はまったく覚えていない、と言うか
腹立たしさと情けなさで味をまったく感じなかった。

そいつの、そう言う大陸人みたいな感覚が、
どうにも生に合わず、その後しばらくして縁を切った。

40 :もぐもぐ名無しさん:02/04/10 22:35
全然いい話じゃなくてスマソ。
高校一年生のある土曜日、自転車通学で食べ盛りだった私は
とにかく早くお昼ご飯にありつきたくて、筋力の限りを尽くして
自転車をこいでいました。
ところがちょっと気を抜いたのが災いして、信号の無い小さな横断歩道で
はねられました。そりゃもう豪快に、2tトラックに。
自転車が大破したのと慣性の法則でふっ飛ばされただけでたいした傷は
無かったんですが、そのせいで酷い目に。
念のため運ばれた病院で、レントゲン検査を受けて結果待ちの間、
ああおなか空いたなあ…と思いながら家に電話をすると、母の怒号。
「なにやってんの! 早く帰ってきなさいよ!」
まあ、連絡もしないで1時間以上経ってるし仕方ない。
が、『はねられたんだよ』と言っても母はまったく信じません。
「冗談言ってないで、もうごはん冷めちゃったわよ!」
ていうか私も空腹だってば。

……その後警察に電話を代わって、ようやく納得したようでした母。

検査の結果どこにも異常は無く、私をはねたトラックの運転手と
再起不能になった自転車とともに帰宅したところ、
「あらまあやっぱり本当だったのね」
という暢気な声とともに、母およびパジャマ姿の父が登場したのを
見て、私は心から泣きたくなりました。いい加減信じてくれよう。

……ひととおり落ち着いて居間に行くと、食卓には冷め切った
皿うどんが私を待っていました。
「冷めちゃったけどお昼食べなさい」
って、…せめてあっためて欲しかったよおかーさん(泣)。
私はこの食事のためにトラックにまではねられたのか…鬱だ。


どういう事実の歪曲でか、月曜日学校に行ったら私は死んだことに
なってたってのがさらに鬱だったけどさ…

41 :もぐもぐ名無しさん:02/04/15 10:25
>37
続き、きぼんぬ

>40 
w) 死なないで良かったね。

42 :37:02/04/16 01:34
3日も経たないうちに酒乱オヤジの手が震え始めたかと思うと
止めていたはずの酒を飲み始めた。

結局、アル中病院に入れたくらいでは治らないのだ。
治すには本人の強い意志が必要になってくる。
…ヤツにそんなものは、これっぽっちも無かったようだ。

星一徹の専売特許「ちゃぶ台返し」
当時の我が家では結構な頻度で見られることができた。

  それこそ思い出に残る食事だ…

アル中病院から退院して4回目のちゃぶ台返しが見られた晩、
ガラスの割れる音、怒号、叫び声に泣き声…
目覚めた私の目の前で母がネクタイで首を締められていた。
必死で止めた、泣きわめきながらすがりついた。
振り払われて犬っコロのように蹴り飛ばされた。
どうやって収まったのか覚えてはいないが、翌朝には普通に学校に行った。
だが心配だったので授業が終ると一目散で家に帰った。

玄関の引戸のガラスが全て割れて、ガラスの破片がそこいらに飛び散っていた。
靴のまま中に入ると包丁が深々と刺さったまな板があった。
荒れ果てた我が家にヤツの姿はなく、ついでに母と妹の姿もなかった…。
(その時、母と妹は近所の友人宅に身を寄せていた)

そんな惨状を、近所の同級生に見られたのが何よりも恥ずかしかった…。


43 :もぐもぐ名無しさん :02/04/20 23:19
もういい加減長すぎてつまらん

44 :もぐもぐ名無しさん:02/04/22 16:30
何年か前に、小学校時代の同窓会をした。
なんだかやけに盛り上がって、男女合わせて数人で河原でバーベキューをすることに。

通っていた小学校のすぐ裏には大きな川があって、授業の一環で焼いもをしたり
飯ごう炊飯をしたりしたことを思い出したから。

他のレジャー客は、立派なアウトドアセットでバーベキューをしている。
私たちは、黙々と河原の石でかまどを作った。
熱々の鉄板、焼肉のタレの匂い、焼肉を具にした焼きソバ。
最後にみんなでゴミを10個ずつ拾って、後片付けをして終了。

小学校の授業で、やはり最後にはゴミを10個ずつ拾っていた。
「来た時よりも美しく」とみんなでセンセイの口マネをしながら、笑った。
私は結婚をして、引越しをした。ダンナの友人たちとバーベキューをすることもある。
河原で石を組む事もないし、ゴミも私しか拾わない。

芯の残ったキャベツ、ゴムみたいな焼きそば。
川の匂いのする思い出。

45 :もぐもぐ名無しさん:02/04/25 00:23
土間に里芋と灯油のポリタンクを隣り合わせて置いていた。

ある日の夕食、灯油味の里芋料理が食卓に…ひぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜〜〜〜

46 :もぐもぐ名無しさん:02/04/25 18:19

うちの母も料理好き。
煮物をつくるのも調味料は目分量なのに
いつも安定した味。
私はうどんのダシをつくるのだけでも試行錯誤やったのに。。。(涙
学生時代は弁当も母がずっと作ってくれてました。
大学時代含め、10年間!!! 
たまに冷凍食品に頼ってることもあったが。
でも、母が料理の出来る人で本当によかった。
おかげで私も料理好きに。
学校終わってからよく一緒に夕食の支度をしました。
母が遅くなる時は私が代わりに作ることも。

今は仕事の関係で海外で初の一人暮らしをしてますが
夕食に困らないのは母のおかげです。

マヨネーズだけで味付けしたシンプルなポテトサラダは
格別!!
よくコンビニで売ってるサラダはどことなく
ドレッシングの味が強くて今もあんまり好きじゃない。

こっちに来てマヨネーズを探すのに苦労した。
だってどれも日本であるようなマヨネーズじゃないんだもん。。。
"何か" が入ってる。
そして探し回ってやっと見つけた日本食材コーナーで
マヨネーズを買い、
作ったポテトサラダはまさしく家の味!!

でもこうやって自分で作っててもやっぱり
母のつくる手料理が食べたい。

長い?スマソ

47 :もぐもぐ名無しさん:02/04/25 20:25
>46
ガンバッテ

48 :もぐもぐ名無しさん:02/05/03 09:15
応援アゲ

49 :もぐもぐ名無しさん:02/05/03 12:59
思い出に残る食事・・・たくさんある。
あり過ぎるほど
5人家族の食卓はいつもおお賑わいでした。
家族で食事する事の少なかった旦那とケコーンしてから
食事の時間大切さが身にしみてわかる。
今、ひとりでは食事できない。
自分が長女なんで兄と妹にパートで出かけた母のかわりに給食のない日は
昼飯を作っていた。
ケンカしたりまずいと言われたりした食卓は温かいモノだった。
なんか泣けてきた。
今日は実家に久しぶりに帰ってきたのでマズイと言われても
やはり実家に帰ってくる妹と兄に飯を作ってたべさせてやる!

50 :もぐもぐ名無しさん:02/05/04 00:35
かき揚げを揚げていた
けれど手が震えて、まとまらないんだ
親父とケンカになって家を飛び出し4年
天ぷら屋で修行中の俺に訃報ってやつが届いた
落盤事故だった

別に涙なんて出なかったのに
天カスのようにバラバラのタネが揚がって。
横で見ていた親方が「代われ」と一言
サッと引き上げて丼飯に載せて
三つ葉散らして茶漬けにしてくれて

「食ったら帰れ」と言われたけど帰らなかった。
あの茶漬けの味は忘れない。

51 :もぐもぐ名無しさん:02/05/05 22:43
私が高3の秋、父が風邪をこじらせて肺炎になり入院した(でも元気だった)。
数日後に祖母も白内障の手術で入院が決まっていたため
なんだか大変になるなあと思っていた。

祖母の入院を翌日に控えた日、父の容態が悪化し
救急車で別の病院に運ばれ、集中治療室に入った。
家族が一人付き添わなければならなかったので
母が付き添いに行った。

家には高1の妹と祖父の3人が残ることになるが
色々考えて祖父には叔母の家に行ってもらうことにして
妹と二人の生活が始まった
食事当番は交代でした
何を作り、作ってもらったかほとんど憶えていないのだが
私が味噌汁を作ろうとて作り方がよくわからずに
こんなことも知らんのか・・・私・・・(;´Д`)と愕然として
本を引っ張りだして何とか作ったことと、
妹がつくった肉じゃががとてもおいしく思ったことをよく憶えている。

それから、お昼は購買もコンビにも利用せず
毎日弁当も二人でちゃんと作って持って行った
今考えてもちょっと「うちらエライやん!」って思う・・・・
(妹はともかく、私はズボラなので・・・)

因みに、祖母はもちろん、父もよくなって何週間か後に
退院したが、入れ違いに母が入院してしまってちょっとびびった(藁
しかも、半年後に祖父が倒れ意識不明のまま2ヵ月後に亡くなった
父と入れ替わってくれたんだ、と皆言ってた
・・・・・ちょっと暗くなってしまった・・・・

すごい長文でスマソ・・・・・



52 :51:02/05/05 22:46
すいません、すいません・・・・・・
長すぎました・・・・・
↑の「ここ」を押してでてくるのは

長文スマソ・・・・・・って言葉だけです・・・・・

53 :もぐもぐ名無しさん:02/05/05 23:14
>>52
なんかほのぼのできるレスですね。

54 :もぐもぐ名無しさん:02/05/06 02:23
ζ
                    / ̄ ̄ ̄ ̄\
                   /         \ やっほー
                  /\   \   /|
                  |||||||   (・)  (・)|
                  (6-------◯⌒つ|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                  |    _||||||||| |  <                    \ / \_/ /    \_____________
                     \____/
                ∩/⌒      ヽ 
               / / ./       ∩
              / / ./      //
             / /./      //
            / /    /  //
           / /   / . //
          / / .ノ/ //
         / //./ .//
        / /J .し//
       / /   //
      / /  //


55 :51:02/05/07 00:25
ありゃ?
ノートパソで書き込みしたら
長すぎるので省略されました
ってなったのに(´Д`;)
今ディスクトップでみたら
ちゃんと表示されてる・・・・・

56 :もぐもぐ名無しさん:02/05/07 07:56
よそにリンク貼ってあって見に来た。
なんか色々と思い出したり感じたりで泣けた。
良いスレだね。

57 :もぐもぐ名無しさん:02/05/09 15:59
私も他からのリンクで立ち寄ったのですが2chにこんな良いスレが有るなんて
知らなかった。今は仕事中で書けないけれど次回は私も書かせて下さいね。

58 :もぐもぐ名無しさん:02/05/10 05:53
彼と私は20年歳が離れた夫婦だから、
できるだけ和食をつくるようにしている。
彼好みのおかずを1つのお鉢につくると、
嬉しそうに一人で全部食べてしまう。
子供みたいに、そのおかずばっかり食べる。
あと何年、こうして元気で私のつくった
ご飯を食べてくれるだろう。
歳に似合わず、たくさんお代わりして
くれるのが愛しくてしょうがない。


59 :もぐもぐ名無しさん:02/05/10 20:51
ほのぼのしてて、いいスレですね。
心が温かくなったのでageます。

60 :もぐもぐ名無しさん:02/05/11 15:55
私も前のスレを呼んで不覚にも泣いてしまいました。
このスレ自体心に残るスレになっちゃいましたよ。
ご参考までに!!
前スレ↓心に残る食事2
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/food/961373743/l50
今は無き心に残る食事1かなぁ?
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/1466/951552846.html

61 :もぐもぐ名無しさん:02/05/16 07:20
おいらが幼稚園児の頃です。その幼稚園ではお弁当が週に2回程あったように思います。
現在もですが、お袋は幼稚園の先生をしています。そのせいもあるのか、同じ
職業のおいらの担任の先生への見栄なんかもあったと思うんですが、弁当箱3個
ぐらい持って行かされることがしょっちゅありました。いまでは大食漢なのですが
いくらなんでも、5,6才に子供用でも弁当箱3個はきつすぎました。3個というのはイベント事
があるときにおおくて、また凝ったデコを作ってくれていたんですが、当時変なところで
シャイだったおいらはそんな弁当を見られるのが恥ずかしくてしょうがなかったのです。

で、年長さんのひな祭りあたりの日、弁当箱3個でした。それがいやでおにぎり
かサンドイッチがよく入っているバスケットだけ持ってほかの2個わざと家に
置いてきました。

お弁当の時間いざふたを開けると、ゆで卵にのりやでんぶで作ったお内裏さまと
お雛様があり、すかさず隣の女のこに見つかり、結局先生が見に来て

「みんな○○くんのお弁当おひなさまだよ〜すごいね〜」っと注目を浴びてしましました。
がき大将のきかん坊の自分がかわいいお弁当もってきてるのがホントに恥ずかしくて、
涙目になりながら2個のゆで卵を口のなかがもそもそなりながら飲みこんだ記憶があります。

そんなような弁当がしばしばあり、よくデコレーションに使われていたピンク
のでんぶは今でも数少ないきらいな食べ物です。そんなお袋も年月と供に手抜きの味
を覚え、あの頃のような凝ったものはまったく作らずスーパーのお惣菜がほとんど
です。お袋、たまに帰ったときにはそれなりのモノ食わしてくれよな〜。


62 :もぐもぐ名無しさん:02/05/16 09:36
5年ほど前に彼といった大阪の韓国料理店。そこで食べた石焼き
ビビンバは熱々で、中の具もごはんのコゲ具合も最高だった。
あんまり美味しかったので大阪にいる間ずっとそれを食べた。

彼と別れて何年か経って、大阪に立ち寄った時忘れられないあの
韓国料理店に行った。
一人で食べた石焼きビビンバは、ポソポソしたそこらにありふれ
たビビンバの味で、自然にノドが詰まってきて涙が出た。

63 :もぐもぐ名無しさん:02/05/16 20:39
5年くらい付き合ってて、大好きだった人が
1回だけ作ってくれたカレー。
男の料理らしく、台所をぐちゃぐちゃにしながら作ってくれた。
私が作るのとは段違いに手間をかけたカレー。
すごく時間がかかったけど、本当に美味しかった。
ぼろっちいアパートの小さな台所で、大好きな彼が作ってくれたカレー。
今でもどこかで作ったりしてるんだろうか。
料理嫌いな人だったんだけどな。
彼の作るカレーを食べたのは、後にも先にも私だけだと思いたい。

もひとつ。サンドイッチを大量に作ろうとして力尽きた
私に代わって、スクランブルエッグを豆板醤であえたサンドイッチを作ってくれた事もあった。
とてもじゃないけど、食べられた物じゃなくて、
無理して涙目になりながら、ひとつだけ食べた。

彼との食べ物の思い出は、苦笑いばかり。


64 :もぐもぐ名無しさん:02/05/17 00:44
つかれた心に優しみ散布

  *  *  *  *
http://hiroshu29.tripod.co.jp/
    *  *
     *
(´ー`)ノ ポポポポ・・・



65 :もぐもぐ名無しさん:02/05/19 01:29
親戚が集まると、決まって出されていた 祖母の手打ちのうどん。
祖父の好物だった。
朝からうどんを打って、ツユもだしをきっちりとる。
よそでは食べられないご馳走だった。
子どものときは食べられるのが楽しみだった。何杯もおかわりしたっけかな。
 祖母は今も健在だが、うどん打ちはもう引退している。
年で打つのはキツいと言っているが、 祖父が亡くなってから、打たなくなってしまった。
あぁ、また食べたいなぁ。
今度、うどんの作り方、聞きに行こうかな。 一緒に作ろうって…。

66 :もぐもぐ名無しさん:02/05/20 10:15
俺にとっての想い出の食事…というか、料理かな?
それは2つある。

一つは、祖母の作ってくれた朝鮮漬け(白菜の漬物だ)。
当時まだ小学生だった俺は、その旨さを解らなかったので「要らない」と言ってしまった。
今ならその味もわかるだろうが…もう食べることはできない。
母や伯母が何度挑戦しても、その味にならないのだそうだ。
…でも、あんなに頑張っているのだから、いつかは出来ると信じている。
もし駄目なら、多分俺が引き継いで作る。
いつか祖母の朝鮮漬けを再現する日まで。

67 :もぐもぐ名無しさん:02/05/20 10:15

もう一つは、「牛乳掛けごはん」。
普通の人からしたら「うへぇ」って思うかもしれないが、俺にとって忘れられない代物だ。
祖父が好きで良くやっていて、幼かった俺はそれを見ているだけだった。
当時、俺は牛乳アレルギーがあったので牛乳を口にできなかったから。
だけど、幾度となく祖父の家に遊びに行っている内に、なんとなく食べたくなった。
ねだると、祖父は「じゃあ少しだけだぞ」って本当に少量、別けてくれたんだ。
牛乳を飲みたくても飲めなかった俺は、その味に感動して。
だけど、少しでも多くなると蕁麻疹が出来てしまうので少しだけ食べて。
そんなことを繰り返していくうち、俺の牛乳アレルギーは消えた。
あれから20年以上、俺は毎日牛乳を飲んでいる。
お陰で、骨折なんざ経験したことがない。
祖父のお陰だ。

今はもう、祖父・祖母ともに他界してしまったので、このあたりの話が出来ないのが
悔やまれる…

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