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父の作った忘れられないもの 第2章

1 :もぐもぐ名無しさん:02/05/07 02:24
前スレはこちら
父の作った忘れられないもの
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/food/1003257996

(´д`)パパ…

2 :もぐもぐ名無しさん:02/05/07 02:25
2!


3 :もぐもぐ名無しさん:02/05/07 02:45
新スレおめー。3げっと。

4 :もぐもぐ名無しさん:02/05/07 02:52
魚をさばくのは父の仕事です。
井戸端に座り込み、でっかいハマチやカツオや鯛をさばいてる
父の姿は、ちょっとかっこいい。
GWに帰ることが出来なかったから夏はがんばって帰省して
カツオのたたきを作ってもらおうっと♪

5 :もぐもぐ名無しさん:02/05/08 02:38
母がしばらく留守をするときは、メニューを考えて、冷蔵庫にいろいろ用意していった。
ステーキ用の肉があったり、鶏肉があったり。

うちはステーキなんか食わせてもらえないから、その時だけの贅沢だと思って、子供心にちょっと楽しみだった。
父は、それらの肉を全部刻んで、ジンギスカン用の肉と一緒に焼き肉にしてしまった。
ちょっと悲しかった。
そんな料理の出来ない父だったけど、最近は少しずつ料理を覚えてきたようだ。

6 :もぐもぐ名無しさん:02/05/08 04:34
小学校の頃、母が病気で入院してるときに遠足があって、
幼心に弟と、明日のお弁当・・・と心配してたら
次の日の朝、父が巨大なタッパを渡してくれた。お弁当箱が
どこにあるのか、もちろん知る由もないのでしょうがなかったけど
だいたい10cmx18cmx8cmはあった。私9歳、弟7歳のころ。
開けてみたら、これまたびっちりと親子丼が入ってた!!!
とにかく重いし、帰りのことも考えて無理して食べた。でも
お母さんの親子丼よりはおいしかったな。あれきり作ってくれないけど。

7 :もぐもぐ名無しさん:02/05/08 04:49
小さい頃よく釣りに連れていってくれた。
お腹がすいてくると、どこからか持ってきた生きたホタテを
あみの上で焼いて醤油をたらして食べさせてくれた。
自分で食わないで、ひたすら焼いてさ。

この前、父親の誕生日だったんだけど
恥ずかしいので母親に『お疲れさまって伝えて』ってメールしたんだよ。
はじめて。
そしたら『うん、うん。って言ってたよ。』って返事がきた。

あー、また一緒に釣りいきてぇ。



8 :もぐもぐ名無しさん:02/05/08 07:33
前スレで特に「感動した(泣いた)」っての三つくらいキボンヌ。


9 :もぐもぐ名無しさん:02/05/08 09:46
>8
自分で読んで決めましょう。

10 :もぐもぐ名無しさん:02/05/08 14:40
http://members.tripod.co.jp/hiroshu29/index.html

ここ見に行くよろし

11 :もぐもぐ名無しさん:02/05/08 15:49
>>9に禿胴
とてもじゃないが3つじゃ済まんw

12 :もぐもぐ名無しさん:02/05/08 17:04
>>9
頑張る。
>>11
じゃ、自分が一番「キタ!」というのを教えておくれ。

13 :もぐもぐ名無しさん:02/05/08 17:17
しいたけ入カレー(゚д゚;)

14 :11:02/05/08 17:19
黄緑色のカレーw

15 :もぐもぐ名無しさん:02/05/08 19:45
>>11
…一番前スレで「感動した!」ってのを、頼む。
今頑張って読んでる。読むのおそいから大変。

16 :もぐもぐ名無しさん:02/05/08 23:06
11じゃないけど、感動したのでのせとく
前スレ187より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
スレとあまり関係無いかもしれません。
でも書きたいことがあったので・・・。


俺は逆に親父がいなくて、そのかわりに祖父が父親のようになって育ちました。
一人っ子の上それなりに厳格な家庭で、躾は厳しくされたし
「誉めてもらった」という記憶もありません。
だから反抗ばかりして、孝行しよう、なんてカケラも思っていなかったんです。

…でも、それの代償は重すぎて。

俺が中学生の時、
祖父は仕事中に脳梗塞で倒れ、数日間生死の境をさ迷いました。
どうにか容態は安定したものの、いつ急変してもおかしくない状態。
言語障害、半身不髄、それに低度のアルツハイマーも重なり、
仕事はおろか趣味のパチンコや酒なども永久に不可能。
俺は本当に不器用らしく、そうなってから
どれだけ愛されていたかを知ったんです。
いえ、知っていたのに見ようとしなかっただけなんでしょうね。
俺が釣った魚を上手にさばく姿。
それで作ってくれた焼き魚は、本当に美味しかったです。
トラクターやスノーモービルの乗り方を教えてくれた、広くてあったかい背中。
俺以外の家族全員働き詰めで、晩飯を作るのは殆ど俺。
その俺の対して上手くもない料理を、
本当に美味しそうにほおばってくれた祖父の顔。

その面影は、もう有りませんでした。

そんな祖父を見て、俺は泣きました。
みんなの見ている前で。
恥も外見も無く。
そうすることで、少しでも償いになるんじゃないか、などと
馬鹿げた考えを持ちながら。
意識が戻ったのは、その数日後でした。
祖父は俺の顔を見て、上手く動かない口を懸命に動かして言いました。
「あ、りが、とう・・・」
祖父が泣いているところを、はじめて見ました。
俺はただ、手を握ってやることしか出来ず。
それから残ったわずかの時間を看病に使って、俺の孝行は終わりました。


どうしてなんでしょうね?無くしてから気付くのは。
なにも返していないのに、ぽつんと残された俺の思いは、
何処へやれば良いんでしょう?
一緒に酒を飲みたかった。
昔の行いを詫びたかった。
温泉に釣れていってあげたかった。


じいちゃん・・・。
−−−−−−−−−−−−−−−−

スレのタイトルとはずれてるけど、泣けた。


17 :もぐもぐ名無しさん:02/05/08 23:10
たしかに・・・。

18 :もぐもぐ名無しさん:02/05/08 23:11
その辺の沼で捕まえてきたザリガニをゆでたものを食えといわれた。
鬱だ。

19 :もぐもぐ名無しさん:02/05/09 21:38
前スレの1貼っておきます

自分は父子家庭だったんだけど、父ちゃんに育てられた人で、忘れられない食べ物ある人いますか?

今はもう親父はいないけど、運動会の時作ってくれた、大きなグローブみたいな
おにぎりが忘れれない。
新聞紙で包んで、おかずは前の晩から作ってくれた昆布の煮物とかだった。
俺はジャングルジムの上で一人、その大きなおにぎりをほおばってた。
すげぇ美味かった。


20 :もぐもぐ名無しさん:02/05/10 10:08
父親参観日の時、一緒にコアラの親子の粘土細工を作りました。
私はそこそこに上手く子コアラを作りあげたのですが、父が作りあげたソレは…
どう見てもコアラに見えませんでした。
ネコ!?異世界の生き物??みたいな感じで。(^^;)
そんな父も間もなく定年退職。老後の楽しみにと、最近水彩画を始めました。
相変わらず下手っぴです。でもそこがまたらしくて…。

21 :20:02/05/10 10:09
あ。ココ食べ物スレだった。すんませ。

22 :もぐもぐ名無しさん:02/05/11 09:30
>20>21
ワラタ。



23 :もぐもぐ名無しさん:02/05/11 09:42
ちょっと違うんだけど、
このスレが出来た頃、去年の秋頃、どこかで見かけた話なんだけど、
父子家庭のお父ちゃんが、運動会だっていうのに、自分が料理苦手で、弁当持参のたびにいつも子供に恥ずかしい想いをさせてて
また明日運動会だけど、どうしようかって飲み屋で悩んでいたら
その飲み屋の常連のすご腕の料理人達が、
超豪華なお弁当を作ってきたっていう話。

なんだかよく覚えてないんだけど、妙に感動したのを覚えている。
確か涙あり、笑いありのエピソードだったような・・・。
誰か読んで覚えてる人いませんか?


24 :もぐもぐ名無しさん:02/05/11 10:30
〉20.21同じくワラタ。けどなんか優しい気持ちになったよ。

25 :ニモ:02/05/11 13:39
母親がいない時に父親が作ってくれた味噌煮込みうどん。最高だった。
適当に作ったんだろうけど、美味かった。「美味いだろ?もっと食えよ」って
腹一杯になって食えなくなった時に言ってきたから断わったら不味いと思ってると
思われるからもう少し頑張って食べた。
今、俺は一人で住んでるから、あの時のただ親と一緒にいた時の事だけで
「幸せな時間だったんだなぁ」って思い出す。っていうか、今、少し泣いてる。

26 :もぐもぐ名無しさん:02/05/11 14:26
>23
覚えてるよ。前スレかな?関連スレかな?場所は忘れたけど。

27 :ニモ:02/05/11 15:14
>>23
器用なお父さんは言う事ないけど、不器用なお父さんもまたいいんだよね。
その書き込みだけで感動した。

28 :かおりん祭り ◆KAORinK6 :02/05/11 15:23
       ∋oノハヽo∈  新スレおめでとうございまーす♪
         ( ^▽^)  O *
     ☆  (U   ,,)つ/   ☆
   ___*/______
   |'\\\O\\\\\\\
   \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄i
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


29 :もぐもぐ名無しさん:02/05/11 21:23
国鉄分割民営化の時のゴタゴタがきっかけで国鉄職員だった父と母が離婚しました。
それ以来もう16年も父親に会っていません。
調理師免許を持っていた父がいろんな料理を作ってくれた記憶だけはありますが、
今は父親に叱られた時に泣きながら食べたチキンライスしか思い出せません。
ケチャップ味の淡いオレンジ色のご飯に涙をポタポタこぼしながら食べました。
もう社会人なので、その気になれば父親に会いに行けるはずだけど、
僕の中では父親は35歳のままなので、50歳を過ぎて老いたであろう
父親の姿を見るのが怖くて連絡も取らないままです。
赤ちゃんの頃の僕を抱っこする父親の写真を見ると、今の僕ととても似ています。

30 :ニモ:02/05/11 21:48
>>29
言葉は悪いですが、父親と「会えなくなる前」に会った方がいいですよ!絶対!
ダメな父親ならどうでもいいですが。お互い探しても会えない親子だっているんですから。
貴方がこのレスを読んでる今だって父親は貴方に会いたいと思ってるやも知れませんよ!

31 :もぐもぐ名無しさん:02/05/11 22:04
うん。
絶対に会いに行った方が良いよ!
父の日も近い事だし。


32 :もぐもぐ名無しさん:02/05/11 22:09
砂糖水。


33 :もぐもぐ名無しさん:02/05/11 22:54
>>32
シチュエーション激しくきぼんぬ

34 :32:02/05/12 07:02
お風呂上がり。


35 :20:02/05/12 17:46
うちの父、もうそれはそれは鍋好きで、我家では春になろうが夏だろうが
1年中頻繁に鍋が食卓を飾ります。家族中が『今日は暑いから鍋はやだ!』と
抗議しても、彼の意志は堅く、自らが包丁を奮う結果となります。
デカすぎる白菜、ちょっと分厚いニンジン等などを一人用鍋で満足げに食べるその姿は、
何だか微笑ましい感じです。

36 :もぐもぐ名無しさん:02/05/13 00:39
>>29
私も父と別れて20年になりました。父の住んでいるところは知っていて、
でも今の自分に背負える問題ではない、だから1人前になったら会いに行こう、
そう思っていました。
その父は、今年2月に亡くなりました。いわゆる孤独死というやつです。
せっかちでカッコつけの親父だったし、結局あんまり親らしいことも
してもらえなかったのかもしれないけど、ずっと好きでした。
晩年はあまり良い生活をしていなかったのでしょう。カッコつけだから、
そんな状態になっても黙っていたのかもしれません。
でも、せっかちだからって、そんなに急いで逝くなよ。
今までそれなりに頑張ってこれたのも、親父にいつか会うつもりだった
からなのに。

つい先日100か日を終えました。
あんまり宗教には興味ないけど、坊さんが言っていました。
「亡き人を供養するのは、何も仏さんに手を合わすだけじゃない。
亡くなったお父さんの血をひくあなた自身を大事にすることも、
立派な供養です。」

結局頑張り続けなければならないのか。
でも、それが自分の生きる力になるのなら、それでもいいのかも、と思う。
親の死って、子供に対する最後の贈り物だと思う。
これを乗り越える力を、自力で養いなさい、という。

どうあっても、何をやっても後悔はするもんだろうけど、
予め考えられる後悔は、それが現実になるまで残すもんじゃないよ。
会えるんなら、会ったほうがいいよ。
俺なんか、20年ぶりの親父、棺桶の中だぜ。

ぐちゃぐちゃにかき回して作った焼きそば、まるでもんじゃだったけど、
どんな味だったかまでは覚えていない。
もう、それを知る術もない。

結局俺もカッコつけてて会えなかったんだろう。
あなたも、どこかに遠慮という名の体裁があるんなら、その後味わうかも
しれない後悔の大きさを考えたほうがいい。
やさしいあなただからこそ、きっと後悔はより大きくのしかかってくるよ。

大きなお世話、かつ長文にて失礼しました。

37 :もぐもぐ名無しさん:02/05/13 00:43
カレー作ってくれた。

ジャガイモなかったからサツマイモ入れてくれた。

まずかった、けど我慢して食べた。今でも覚えてる

38 :ニモ:02/05/13 01:43
>>36
泣けた

39 :ばぁ:02/05/14 01:15
同じく、ごもっとも。

40 :もぐもぐ名無しさん:02/05/14 02:29
むかし、よく一緒に山登りした。
お昼にはおむすび系のお弁当と、スープがわりのインスタントラーメン。
バーナーとか持っていって。山頂でつくるラーメンはうまかったなあ。
父はかならず、麺を四つに割って作るのです。
山の上以外では、お湯すら沸かさないひとなんだけどね。

41 :ばぁ:02/05/14 11:55
自分も親で中年なんだけど、家族に見せるふと困ったときのお父さんとか
不器用を自覚していて素直で正直、そんな親父には惹かれる。
人の旦那、自分の夫にかぎらず。
子供と一緒に山登りしたいと思う親父はいぃとうちゃんに決まってるがな!
って、当たり前だけどな。
親父を孤独にしとくとねぇ、ダメになるね、間違いない。
ほんとに無力を自分で噛み締めていると思うんだ。
かァちゃんに見捨てられた親父でも、うっとうしい親父でも
たまには声かけてね。それだけでいいよ。
忘れられていないと思い返せれば、元気がでるらしいから。
親父ってせつないね。
妻であるあたしが言うのもなんだけどな。
ついいらいらして日頃から雑に扱ってごめんよ。


42 :もぐもぐ名無しさん:02/05/14 15:42
俺の父は料理が好きだったんだけど、母は台所を触られるのを嫌がるので、
父も俺も弟も、月に一回ぐらいしか料理を作る機会が無かった。
そんな父が作ってくれたのが、鶏モツとタマネギの炒め物。
鶏モツを丹念に水にさらしてタマネギと炒めて、醤油で味付け。
タマネギのせいか、不思議と甘くてご飯が進む料理。俺がモツを好きになった原因。

俺が成長して会社の寮に入る時、父は「お前の部屋に住む。家庭内別居するから。」と言った。
俺が高校の頃には母への愛情は無くなっていて、離婚したかったのだけど、
「子供が社会に出るまで」とガマンしているうちに、タイミングを逸したらしい。
そしてうすら寒い家庭が出来上がった。俺も弟も「かすがい」にはなれなかった。

今は、年に数えるほどしか実家に顔を出せなくて、食事(と言うか酒)も外でしかやらなくなった。
夫婦が揃っての食事を見た記憶は薄れ始めている。
父の鶏モツ炒めを食べたいし、自分でも何か作ってあげたいのだが、
いろいろな意味で寒い台所で作った物は食べる気にならないらしくて、いつも外に連れ出される。
おそらく、もう一生、鶏モツ炒めは食べられないのかと思うと、鬱だ。

43 :もぐもぐ名無しさん:02/05/14 15:50
今、親元に居る人。
自分を成長させるのに一人暮らしは良いものだけど、可能ならば、
親御さんに顔を見せようと思った時に簡単に見せられるような近距離に住んだほうが良い。
俺はそう思った。

44 :もぐもぐ名無しさん:02/05/14 18:47
一緒に住めるうちに一緒に住むのも、親孝行のひとつかもね・・・

45 :もぐもぐ名無しさん:02/05/14 20:00
釣りに行き戦利品に得意満面で帰宅
さっそく魚をさばいて刺身にし家族感謝のはず が残りの大漁の魚の処理は妻に押し付け妻は釣りに行くたび不機嫌
週末はスーパーで買出し 庭でバーベキュー(値段を考えない)
テレビのグルメ番組を見ては 自分は食べたこと無いくせに再現したがる
家族は喜んでくれるはずと信じて料理する父 でも思春期の娘はダイエットだと迷惑顔
お父さんあの頃はごめんね 娘より

46 :もぐもぐ名無しさん:02/05/15 00:17
中学の初めての夏休み、祖父の初盆だった。
家族みんなで泊まりに行った。

妹たちはまだ小学生で、中1の私だけが、お盆が終わるとクラブ活動が始まる。
それが、大人になった気分でうれしかったのと、いつまでもみんなと遊んでい
られない寂しさもあった。
仕事が始まる父と、二人だけで帰ってきた。

クラブに行く朝。
当時学校の近くに店は無かったので、お昼はどうしようかと悩んだ。
食べなくてもいいと思って家を出ようとしたとき、父がハンカチの包みを渡し
てくれた。

お昼時間に、友達や先輩とお弁当を開けて、ビックリした。
父の手のサイズの、とても大きなおにぎりが二つ。
火であぶっていない海苔で母のおにぎりと違って見かけない色で、塩味もなく、
はっきり言ってマズイものだったけれど、食べながら泣いた。
みんなの前だと分っていたけれども。

そのころ父とはぶつかってばかりで、あまり会話が無かった。
帰ってきても礼を言うこともせず、それ以降も同じように会話は無かった。
私が中2の春に、父は急死した。
あのときに素直になっていればと今でも思う。

47 :ばぁ:02/05/15 01:23
いいおとうさんじゃないか。
気持ちはちゃんと伝わっているよ。
大丈夫だよ。
しかし、みんなえらいな。
わたしの両親は離婚して、父が再婚して、
父方で育ったわけだけど、
いい年こいていまだに親に対しては
許してない気持ちがあるから困ったもんだ。
というか、肉親ってかんじしないんだよね。
他人って思いの方が強い。
でも、ココの人たちの気持ちがわかりすぎて困っちゃう。
はて、なんでだろ。

48 :もぐもぐ名無しさん:02/05/15 01:30
>>47
簡単だよ。許してなくても、好きなんだよ。

49 :ばぁ:02/05/15 01:42
そ、そんなズバッといわれると、
ずきっとくるな。
痛いよ。

50 :もぐもぐ名無しさん:02/05/15 04:42
うちの父ちゃんが半年に1回気まぐれで作るカレー
どっかからでっかい鍋出してきて、
半日かけて煮込んで作ってる。
母ちゃんが作るカレーとは違ったうまさがあるんだよね。
その日から一週間ずっとカレー、
でも、俺はそのカレーが大好きだったから毎日嬉しかったよ。
今じゃ、あんま話す機会もないけど子供の時に色々した思い出は
いまもちゃんと残ってる。
ずっと、忘れないでとっときたいと思うよ。

本当にいいスレだね。ありがとう。

51 :ちんこ:02/05/15 10:43
俺の父親は俺が中1の時、女つくって出て行った。
親父が作ってくれたものの一つは女だが、
もう一つ作ってくれたのは2000万円の借金だった。
しかも置き土産として残していってくれた。

その借金は母が一人で抱え込んだ。
母はバカ息子2人をりっぱとはいえないまでも育てあげ、
数年前、すべての借金を返済しきった。
俺も含む2人のバカ息子は全く手を貸さなかったので、
誰の手も借りずに、20年ばかしかけてたった一人で返した。

母の人生はマイナスをゼロにするためにほとんど捧げられた。
家庭内は怒号と嗚咽の繰り返し、醜い口論ばかりだった。
俺が小学生の頃からずっと、口をあければ金の話だった。
母の人生を思うとき、それは華やかでも平凡でもなかったが、
悲しみに彩られた手ごたえのある人生だったのではないか、
最近少しだけそう思う。

最近は子供も手を離れたので、友達同士で国内旅行をしたりしている。
たまに手紙がくるけどあんま読んでない。
母親の事は昔から大嫌いだった。
でも働いて自活し始めて、生きることがどれだけ大変か知り、
母親がどれだけすごい人だったのか痛感した。
今でも嫌いだけど、同時にすごく尊敬してる。
昨日ちょっと遅くなったけど、宅配で花を贈った。

親父があんま出てこなくてごめんにぇ。



52 :ばぁ:02/05/15 12:20
ちんこのかぁちゃん、すっげー!
炎のかぁちゃんですな。
そんなひとが近くにいたら、圧倒されるな。
実際そういうたいへんな渦のなかでたくましく生き抜いている
女たちはたくさんいるんだろな(遠い目)

あんさぁ、ココのスレのはこんなこと申し上げにくいんだけどさ、
あんまし、子供に関心がない親父(母も)は確実にいるよね。
また、母親の場合、子供を自分の感情の掃き溜めにしちゃうのも。
自分の不幸を子供支えさせようとしてるやつ、例えば夫婦関係の愚痴
を子供にこぼしたり子宮ガンの検診の結果について自分はガンかもしれない
とかなんとか不安を話したりするようなこと。子供だってそれぞれ固有の
苦しさ不安をもってるわけでそこに親の苦しさの重荷を負わせてはいけない
と思う。夫婦関係で解決すべきことができず、ぐちゃぐちゃになっている
母親ってわたしのまわりにいるもんな。
ちんこ、(ってよびずれーじゃねーかW)せめて自分のこどもには余計な思い
させないでおこうな。
でもついつまんないこと子供にぶつけちゃうことある、げっ

53 :もぐもぐ名無しさん:02/05/15 16:04
>>52
前スレにもいろんな人がいたよ。感情の捌け口にされ続けていた人もいた。
でも、そんな親でも思い出を残していってくれてた。
前スレものぞいてごらん。本当にいろんな話があるよ。

54 :ばぁ:02/05/16 07:12
>>53
失礼しました。みんなの邪魔をしちゃったな。
これからもみてるよ。

55 :もぐもぐ名無しさん:02/05/16 11:15
>ってよびずれーじゃねーかW
warata
「ちんこのかぁちゃん」て言葉がなんかおもしれー

56 :もぐもぐ名無しさん:02/05/16 14:23
小学校の3年の時、学校から帰ると父がキッチンに立っていた。
前日まで海外出張に行っていた彼は
向こうで食べた『ライスプディング』なるものが忘れられず
手探りで作り始めたらしい。

父「ライスプディングは美味いぞ〜。美味〜い外国の料理だぞ。
お前らも食べたいか?」
私.弟「食べたい食べたい!ワ〜イ!」

私たちはワクワクしながら、見たことも聞いた事もない
外国の料理の出来上がりを待った。
が、数分後 皿に盛られたライスプディングを見て愕然とした。
砂糖と牛乳でご飯をドロドロに煮込んだ
見るからに不気味なシロモノ。味のほうはどうかというと
これがまた不味い。吐き気がする程不味い。

私「まずーい!やっぱりいらない!」 弟「僕もいらない!」

父は機関銃のごとく怒った。弟にだけ...
「R(私)は許してやる!でもK(弟)はダメだ!
男のくせに、自分から欲しがったものを残すとは何だ!男なら全部食えっ」

なんてことを言うんだこの人は。男でも女でも不味い物は不味い。
あんたこそ男なら責任とって全部食べたらどうなんだ。
私は「男は○○するべき。女は××であるべき。」
と言う考えは大嫌いだったし、そう言うことを言う人も軽蔑していた。
まさか自分の父がそういう人だとは思わなかった...本当に
失望した。父への反抗に、私は弟と一緒に「ライスプディング」を
全部食べた。ちなみに父は食べてない。
「パパは食べたいなんて言ってないだろ?」 ......

57 :もぐもぐ名無しさん:02/05/16 21:28
このスレ半年前にpart1が立った時からずっと見させてもらってたよ。
突然見なくなったけど思い出してまた見た。やっぱり泣ける。

俺は両親共に健在。祖父は小さい頃に死んだからどんな人なのか全く覚えていない。
興味は持ったがなんとなく訊くのが恥ずかしくて未だ訊けないでいる…。
祖母は健在だがこの間、白内障の手術で入院した。そろそろ退院してくる頃だ。
祖母が健在な内に訊いておこうか…。

来年から実家から遠く離れた寮に入るが、
長い休みがあったら実家に帰ってやろうと思った。
なんか家族紹介になっててスマソ。

実家は自営業で、工場を営んでいるのだが最近キツくなってきたのか、親父は仕事一筋。
そうでなくても、昔から親父が料理を作った所など見たことがなかった。
そんな親父がこの間作ってくれた豚の角煮。
恥ずかしくてさりげなく言ったが美味かったよ。
俺がたまに料理を家で作ると必ず「美味い」と言ってくれる親父。
俺のは親父の遺伝なのか、親父もさりげなく言う。

PCのスキルを叩き込んでくれたのは親父。今でもよくPC・ネットの話をする。
俺がたまにキツく言ったりしても滅多に怒らない。後になって罪悪感を感じる。
優しくて温厚な親父は一生健在だ、そう思いたい。

親父、今度は若い頃作ってたっていう手打ちうどん、作ってくれよな。

58 :57:02/05/16 21:57
× さりげなく言った
○ さりげなくしか言えなかった

59 :もぐもぐ名無しさん:02/05/16 22:02
お味噌汁。具は大根とほうれん草とじゃがいも。
別になんてことない物なんだけど、
私が中学生だった時に母親が病気で1ヶ月くらい入院してた時に作ってくれた。
最初は私が家事をやっていたんだけど、部活動とかテストとかで
もう家事をやるのが嫌になって放棄してしまったら父親がご飯作ってくれた。
後にも先にも父親が台所にたったのを見たのはこの時期だけ。
今思えばお父さんだって仕事忙しかったと思うんだけどね。
結婚して時々この具でお味噌汁作るとお父さんの優しさを思い出すのさ。

60 :もぐもぐ名無しさん:02/05/16 23:05
この前、教員住宅に単身してる父のところへ(自分が)羽休めに行った時、
冷蔵庫に直ぐ食べれるものが無いってんで、わざわざ父がスパゲッティを
作ってくれた。
茹で過ぎで、少し気持ち悪かった。
「ちょっとパス」と言って残しちまった。
なんか酷いことしたかな、と思いつつ父を見ると
父も残してた。                   ちゃんちゃん。

61 :もぐもぐ名無しさん:02/05/17 16:54
工房だけど、もう少ししたら就職する事になる。
食事に連れていくのは、兄がもうやったので、金を渡して何か買ってくれと言いたいと思う。

62 :もぐもぐ名無しさん:02/05/17 17:07
消防の頃、父が張り切ってカレーを作ってた。
味見させてもらって「辛い」といったら、
父は砂糖をカレーに入れた。
自分は、それはやばいのでは、と思ったが、
父が怖くて言えなかった。
もちろんかなりマズかったが、
自分のせいだと思ってなにもいえなかった。

63 :もぐもぐ名無しさん:02/05/17 21:38
お父さんの作ってくれた料理っていつまでも覚えてるんだよね
毎日料理を作るお母さんの料理はいちいち覚えていないくせに
って主婦は思っているのではないかと・・・

64 :もぐもぐ名無しさん:02/05/17 22:15
>63
日常の食事は印象に残りにくいからね。
でもふと思い出すママンの料理もあるよ。

関連リンク貼っておこうかね・・・・
ママ(´д`)お母さんのおやつ(´д`)ママ
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/food/992767338/
母ちゃんの作ってたもの、あれは何だったの?
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/food/985441286/


65 :ばぁ:02/05/17 23:31
>>55
「ちんこんかーちゃん」
うむ、たしかに面白い(遅くなったけど)

66 :もぐもぐ名無しさん:02/05/18 00:52
お母ん!弁当のおかずなんとかならんか?
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/food/974053076/l50

夫婦(めおと)スレ。

67 :もぐもぐ名無しさん:02/05/19 02:58
前スレ昨日で読んだよ・・・・あんま泣かせないでくれよ・・・・

私も少し駄レスでゴメン。
私は幼い頃から、すっごいお父さんっ子だった。
中学高校ぐらいになったら、よく女の子供はお父さんと話さなくなったり、
一緒に洗濯物洗うのイヤがったりするって言うけど、
私はむしろ勝手にお父さんのパンツを自分の洗濯物と一緒に洗ったりして、
お父さんが逆にビックリしてるくらいだった(笑)。
大きくなったらお父さんみたいな人と結婚したいなって、思ってたよ。ホント。
さすがにお父さんの前では、さすがに言えなかったけど。
ウチのお父さんは仕事一徹の堅物で、趣味といえるものは晩酌とテレビでプロ野球見るぐらい。
当然料理なんてサッパリで。
普段は感情がほとんど外に出ない人なんだけど、お酒飲むときだけ饒舌になった。
そのお父さんの夢って言うのが、後からお母さんに聞いたんだけど、
「娘と一緒にビール飲みながらテレビで野球を見ること」(笑)。
高校生の時にお父さんと一緒に飲み始めてから(汗)、晩酌の相手は私になって。
料理はさっぱりなお父さんなんですが、この晩酌の時だけはお父さんが台所に立つんですよ。
酒のおつまみ、「枝豆」と「スルメ」を作るために。
枝豆の塩加減とか、すっげー上手で。美味かったです。
スルメの上にマヨネーズかけて、七味ゴバーってのせて、辛過ぎで当時の私には食べれなかった(笑)。

でも私は20の時、仕事の都合で家を出てきちゃいました。
一緒に飲んだのも、私が家を出る前日の夜が最後。
お父さん、今年は巨人優勝できるかな?
天国で応援してて下さい。今日は勝ったよ〜!

なんかあんまり料理の話じゃないゴメン

68 :かんぱり:02/05/19 22:13
一人暮しを始めて数ヶ月。
思い出すのは、日曜日になると父が必ず庭先で焼いていた焼き鳥の味。
幼心に家族の誰にもかまってもらえなくてかわいそうと思っていた私は、父の焼いた焼き鳥を家族の誰よりもいっぱい食べていた。
そしていつしか、父の作るものは本当においしいと思うようになっていた。
母が言うには、私と父は似ているらしいが、性格だけではなくて味覚もだんだんと似てきたのかも。

今、父はほとんど庭で焼き鳥を焼いていないみたい。
「お客さんがいなくなったから」って父は言う。
泣かせること言ってくれるじゃない。
私の「おふくろの味」ならぬ「親父の味」は、焼き鳥です。
一人暮しして離れていても、ずっとその味は忘れないよ。




69 :シママース:02/05/19 22:40
小学生の頃、母が熱だして寝込んだとき、
父が焼き魚とみそしるを作ってくれたことがある。
焼き魚はコンロに入れればいいとして、
みそしるが、これ以上のみそは溶けませんという限度以上のみそが
入れてあったため、とぷとぷしたモノが出来上がっていた。
具は何だったか覚えていない。
辛かったので、半分くらいしか飲めなかったが、
近くのほか弁に逝けば簡単だったのに、
普段料理なんてしない父がめちゃくちゃ時間をかけて
つくってくれたのを今でも覚えている。

70 :もぐもぐ名無しさん:02/05/20 03:04
母が用事で家を空けたとき、父がご飯の用意をしてくれたことがあった。
普段、父が台所に立つことはなかったので、「ご飯作れるのかな」と
小学生だった俺と兄は、見ててちょっと不安だった。
その時作ってくれた料理が何だったか、もうほとんど思い出せなくて、
フライパンの上でぼろぼろになってる卵焼き(ようなモノ)ぐらいしか憶えてない。
味もそれほどおいしくなかった気がする。結局、父が台所に立ったのはその一回きり。

高校卒業して進学のため一人暮らしを始めた。
生活する大変さを知って、今まで文句も言わず家事をこなしてきた母に感謝した。
働き始めて、お金を稼ぐ大変さを知った。父に飯をおごりたいと思った。
実家に帰るたびに、俺は「メシおごるよ。何食いたい?」と聞くんだけど、
父は「いらない、まだお前にはおごってもらいたくない」と断られる。

どうやら、子供に金を出させるわけにはいかないという親の意地があるらしい。
すでに髪も薄くなり背だって俺に負けてるくせに、親の威厳は一向に衰えていない。
その意地に、かなりの悔しさと少しの尊敬。

いつか父を認めさせ、美味い飯をおごる。
それが俺の父を越えた証になるんだと思った。

スレ主旨と違ってて申し訳ナイ。

71 :もぐもぐ名無しさん:02/05/20 09:49
>70
父親って、男にとっては永遠のハードルなのかもしれんね。
俺も思い出したことがあったので放置してみるテスト。

俺が19の時、仕事の関係で田舎を離れるまで、良く家族で網焼きをしていた。
そういう時、決まって父は一番初めに表に出て火加減をして。
で、団扇で煽って程よく火が起きたら網乗せて食材を焼くわけなのだが。
目分量で塩コショウをバーっとかけるんだ。
時々失敗するんだけど、大抵絶妙な加減なので酒が進む進む。
…田舎を離れた後、そんなことを思い出してしんみりしていたのだが。

72 :71:02/05/20 09:49
田舎を出て何年か経ったある日、突然携帯に父から電話が掛かってきた。
「出張で近くまで来ている。仕事の参考にしたい建物があるから案内して
欲しい」という内容だった。
暫く帰郷していなかったので、予定があったけどキャンセルして父と会う
事にした。
場所を聞くとかなり遠く、父の次の予定の時間までには間に合わない。
仕方ないので取りやめて、空いた時間で父と二人酒を酌み交わした。
短い時間の間、ビール中瓶2本と串焼きを少し摘んで、近況報告をした。

当時、俺の勤めていた会社は給料の遅配が当たり前な程経営が怪しくて、
いつ潰れてもおかしくない状態だった。
だけど、心配を掛けたくなかったので「仕事はぼちぼちだよ」って具合に
近況を話していたのだが。

別れ際、父に呼び止められた。
「これから大変だろうから、足しにしろ」
って小遣いを貰った。
会社がやばいなんて一言も言っていないのに…
普段は表に見せない父の優しさと、心配させてしまう自分の不甲斐なさに、
帰った後俺は泣いた。

73 :72:02/05/20 09:50
結局その後会社は潰れ、今俺は田舎で職探し中。
週末は時間を作って両親と食卓を囲む事にしている。
もう少し暖かくなったら、網焼きをまたやるだろう。
その時までに仕事を見つけて、両親と旨い酒を飲みたい。

父さん、こんな苦労かけるドラ息子でごめん。
頑張って仕事見つけて、結婚30年にあわせて温泉旅行をプレゼントするよ。
だから、それまで倒れたりしないでな?

…なんだか良くわからん長文で申し訳ないのでsage。
首は吊るわけにいかないので回線切るよ。

74 :もぐもぐ名無しさん:02/05/20 22:57
ここに書き込んでいる人たちは、心がやさしい人なんだなぁとしみじみ


75 :もぐもぐ名無しさん:02/05/20 23:26
別の板では別人格だろうけどね

76 :もぐもぐ名無しさん:02/05/21 00:48
そゆこというな。
一時の人格なんて状況に左右されるもんだ。
でも、心のどこかにやさしさが・・・

悪い、俺もんな戯言信じてないや。


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